2017年08月26日
後ろは男でないかぃ!

随分前にyoutubeで見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=uqtjb0LjC3c
凄いねー。
何度かみているうちに「ゴリラ顔」の人を発見!
「極上の月夜。10億人が泣いた衝撃の美少女パフォーマー千手観音」という題名。
〈美少女パフォーマー〉というから女ばかりだと思っていたので、
途中にゴリラ顔の人がいたのでビックリ。
わぉ!
それからゴリラ顔の人が気になりだした。
検索しているうちに、いろいろ分かってきた。
この人々は中国の障害者芸術団に所属している。
耳が聞こえない人達。
踊れるようになるまでに10年かかるという。
まず、床に耳をあてて、振動を聞いて曲を知る。
お客様で耳が聞こえない方がいらっしゃいます。
その方曰く「耳が聞こえないのでバランスが取りづらい」という。
聞こえないというのは「聞こえない」だけではないのだな。
個人の担当パートを覚えて、全体に合わせないといけない。
(たぶん)20人で1チームなのだ。
A組・B組・C組・・・といくつもあったんですね。
身長を合わせてチームを組んで手の角度を叩き込んでいくのだろう。
できるまで10年もかかるなんてすごい。
どうりで圧巻だ。
本番では1組にたいして2人の先生(誘導員?)がいるようだ。
私は↑のチームが一番好き。
それは、一番前のお姉ちゃんが永作博美似の丸顔でキュートだから。
人気の仏様観音様はお顔がキュートだわね。
1チーム1/3~1/4は男性のようです。
Posted by わかばかん at 15:59│Comments(2)
│世間話
この記事へのコメント
すごい!!! 見て驚きました。
緻密な練習の結果ですね。お見事!!と言いたいです。
千手観音を表現したパフォーマンスですから、仏教的な視点が大切なのでしょう。仏教的には観音様に男女の別はないと思います。
さて聴覚に障害がある方々のパフォーマンスということですが、すごいことです。先日NHKで「障害者」と「健常者」とは何ぞや。。という議論がなされていました。越後OYAJIはその分け方がいけないのだと思っています。
「障害者」と「健常者」、、そもそも健常者なる人間っているのでしょうか?
五体満足などという言い方もあります。そもそも五体満足などという人間は
いるのでしょうか?。。そういう分け方が「差別」を生み出す原点なのだと思うのです。何かが足りない人、劣った人を障害者と呼び、見た目で五体満足な人間を健常者などという不遜な言い方をしたのだと思います。
人間のなんという思い上がりなのでしょう。。。
確かに障害を持った人々は存在します。それは医学的に区別されたことだと思います。お医者様が判断することです。越後OYAJIはこの「区別」が大切だと思っています。「区別」を意識しないと「差別」になってしまいます。
「区別」は「差別」ではありません。目の不自由な人、耳が不自由な人。。。
身体が思い通りに動かない人。。。色々います。精神を患っている方もいます
越後OYAJIはそういうどこかが不自由な人はそうでない人達が足りない部分を補ってあげれば良いのだと思っています。それが「区別」という考え方です。目の不自由な方の視力を回復させることは「奇跡」です。普通の人間にそんなことはできません。それならばできるだけのことを必要な人に与えることが人間として平等なことだと考えています。
自分自身も勿論色々な意味で障害があります。それでも他のもっと重い障害を持った方よりは楽に生きていけます。その私を誰が必要としはてくれるのなら私はその方の目になったり耳になったりしたいと思っているのです。
絶対に差別はなくさなければなりません。自分が差別される立場ならばとても嫌だからです。耳の不自由な方々のパフォーマンスを見て思いました。
ところで千手観音ですが、、、京都の三十三間堂で見た千手観音に衝撃を覚えた記憶があります。仏像というより芸術品としての素晴らしさに魅了されたのです。。。
それと妻が子育ての頃にしょっちゅう言っていたのが「千手観音」になりたいでした。こども達に手がかかり、二本の手だけでは足りないという意味でした。確かに妻は子育てに熱心でこども達に充分な愛情をかけていました。
その妻の言葉が「千手観音になりたい(^o^)」だったのです。。。。。
緻密な練習の結果ですね。お見事!!と言いたいです。
千手観音を表現したパフォーマンスですから、仏教的な視点が大切なのでしょう。仏教的には観音様に男女の別はないと思います。
さて聴覚に障害がある方々のパフォーマンスということですが、すごいことです。先日NHKで「障害者」と「健常者」とは何ぞや。。という議論がなされていました。越後OYAJIはその分け方がいけないのだと思っています。
「障害者」と「健常者」、、そもそも健常者なる人間っているのでしょうか?
五体満足などという言い方もあります。そもそも五体満足などという人間は
いるのでしょうか?。。そういう分け方が「差別」を生み出す原点なのだと思うのです。何かが足りない人、劣った人を障害者と呼び、見た目で五体満足な人間を健常者などという不遜な言い方をしたのだと思います。
人間のなんという思い上がりなのでしょう。。。
確かに障害を持った人々は存在します。それは医学的に区別されたことだと思います。お医者様が判断することです。越後OYAJIはこの「区別」が大切だと思っています。「区別」を意識しないと「差別」になってしまいます。
「区別」は「差別」ではありません。目の不自由な人、耳が不自由な人。。。
身体が思い通りに動かない人。。。色々います。精神を患っている方もいます
越後OYAJIはそういうどこかが不自由な人はそうでない人達が足りない部分を補ってあげれば良いのだと思っています。それが「区別」という考え方です。目の不自由な方の視力を回復させることは「奇跡」です。普通の人間にそんなことはできません。それならばできるだけのことを必要な人に与えることが人間として平等なことだと考えています。
自分自身も勿論色々な意味で障害があります。それでも他のもっと重い障害を持った方よりは楽に生きていけます。その私を誰が必要としはてくれるのなら私はその方の目になったり耳になったりしたいと思っているのです。
絶対に差別はなくさなければなりません。自分が差別される立場ならばとても嫌だからです。耳の不自由な方々のパフォーマンスを見て思いました。
ところで千手観音ですが、、、京都の三十三間堂で見た千手観音に衝撃を覚えた記憶があります。仏像というより芸術品としての素晴らしさに魅了されたのです。。。
それと妻が子育ての頃にしょっちゅう言っていたのが「千手観音」になりたいでした。こども達に手がかかり、二本の手だけでは足りないという意味でした。確かに妻は子育てに熱心でこども達に充分な愛情をかけていました。
その妻の言葉が「千手観音になりたい(^o^)」だったのです。。。。。
Posted by 越後OYAJI
at 2017年08月29日 22:11

以前、ある高校生が自転車のカゴに傘をかけて乗っていた時に、その傘が側溝の穴に刺さって前のめりに転んで大けがをしてしまった。顔から血が出て大変だったそうだ。通りかかった人が救急車を手配してくださったという。
「通りすがりで血を流している人がいたら面倒みてやる」と言った彼の言葉に
逞しさを感じました。
「通りすがりで血を流している人がいたら面倒みてやる」と言った彼の言葉に
逞しさを感じました。
Posted by わかばかん
at 2017年09月05日 16:48

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